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吉弘楽 |
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[修正鬼会][吉弘楽]
吉弘楽は、大分県・武蔵町吉広字美婦に鎮座する、楽庭八幡神社の境内において、旧暦6月13日に五穀豊穣・害虫封じを祈願して奉納される 起源は古く、養老2年(719)仁聞菩薩(国東に宗教的な霊場を開いた、超人的な行者とされる)が天台宗と宇佐八幡信仰を習合し、六郷山(国東の天台寺院群)を開いたころ、天大寺院の僧侶達の指導により、楽打ちが行われ、、吉広においても六郷山大満坊の、本尊薬師如来に対して。薬師法にのっとり楽打ちが行われていた 南北朝のころ、豊後の国主大友氏の分家、吉弘氏の初代「吉弘正賢公」が入封されたとき、柞原八幡の分霊を祀り守護神とし、吉弘楽を司祭した その後、8代「氏直公」が都甲屋山城(豊後高田市都甲)に拠点を遷したときに吉弘楽は、都甲松行でも行われるようになった 慶長5年、関ヶ原の余波を受け、西軍に付いた大友氏は、別府市石垣原の合戦において、東軍の黒田恕水と戦い大敗北を喫する(如水はどさくさ紛れに九州を統一しようとしたらしい)、このとき11代「吉弘統幸公」は戦死をした、これを契機に吉弘での楽打ちは衰退していった 元禄10年(江戸時代)杵築藩主「松平日向守重栄候」は不作の続く、吉広郷の庄屋「高原徳左衛門」らに命じ都甲松行に残る吉弘楽を、100年ぶりに吉広の地に復活させた、以来、今日までとぎれることなく奉納されている。 平成8年に国の「重要無形民俗文化財」に指定された 参考文献 清原京一氏 「重要無形文化財 吉弘楽」
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